交通科学博物館の思い出
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
昨今は明治節なんて言葉・・・由緒ある神社の祭礼予定表くらいにしかお目にかからなくなった。
23日の新嘗祭も・・・。
それはさておいて・・・文化的な話題をひとつ。

(昭和36年3月25日発行のトラベルニュースから)

開設当時の国鉄・弁天町駅 右上で交差するのは市営地下鉄4号線

現在の弁天町駅前・・・隔世の感どころか、全く違う場所のようだ。
昭和36年4月25日の大阪環状線開通記念事業として、昭和37年1月開設されたのが、国鉄大阪環状線弁天町駅高架下を利用した交通科学館(現:交通科学博物館)だった。

東京・万世橋の交通博物館は、歴史も古く、本邦唯一の交通関係の博物館として有名であったが、こちらの科学館は、特に西日本の人々に交通知識を普及するために役立てるために設置されたものだった。
展示物の内容は、「特に交通の現状と将来に力点を置かれた近代的なもの」という謳い文句であったが、開設以降半世紀近くなるとその展示品も歴史的価値が付帯するようになったのか・・・最近では「交通科学博物館」と名称を変更した。

開設を控えた昭和36年12月の同館の様子
屋外の展示車輌は、C5345のほかは三輌の客車(スハシ38 102・マロネフ59 1・マイテ49 2)のみだった。
展望車は当時マロテ49と称されていた。

開設当時はかなりの人気であったらしく、遠方からのバスで乗り付ける団体客が多かった。

(現在の様子)
開設以後10年近く経た昭和46年ともなると、車輌の数も多くなり小生の格好の遊び場所となっていた。

均整美あふれる大きなスポーク動輪とあいまって、いかにも力強くスピードが速そうなC53が大好きだった。

C53は、戦前特急「つばめ」を牽引していたが、戦前の特急列車はテールマークのみを使用し、このように機関車にヘッドマークを使用することは、戦後になってからである。
ということで、歴史的には忠実ではないが、ヘッドマークを付けたココのC5345の姿は、今となっては懐かしい。

おとなりのC6226の「はと」のヘッドマークは時代的にも符合しているようだ。

これは昭和47年のライブスチーム運転会の様子・・・C53のナンバーが本来の形式入りプレートになり往年の風格を取り戻したのは歓迎すべきだが、なぜか赤く色づけられている。当時の現役SLでは赤ナンバーのものは人気者であったが、C53になぜこんなことをしたのか・・・同館の見識を疑うものであった。西尾克三郎さんもおられたというのに・・・。

C53の大動輪の前を往く・・・大きなブレーキシュウがなんとも魅力的!

その後昭和47年の梅小路蒸気機関車館オープンとともに同館に移動したが、ナンバープレートは黒く塗り直されてイイ感じ。
(煙室手摺の形態が、交通科学館設置当時のものからオリジナルのものに変更されているのが、その痕跡も含めてよく判る。)

館内の今昔 上:昭和47年 下:平成19年

(EPSON R-D1s + Leica Summilux-M35mm)

マイテも当時は自由に車内にも立ち入ることができた。


この展示車輌が昭和62年に現役復帰することになろうとは・・・この当時は夢だに見ることはなかった。
ただ、JR西日本が交通科学博物館の老朽化を視野に入れて京都・梅小路蒸気機関車館に隣接した場所に新しく科学館を2014年度に新設し、交通科学博物館の展示物を移設するとのニュースもあり、今後の目が離せない。
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Comment
2009.11.03 Tue 08:23 | 交通科学館
11月3日、明治大帝御生誕の日を記念した祝日。今で言うなら「天皇誕生日→みどりの日→昭和の日」でしょうか。
交通科学館と呼ぶほうが、私には馴染み深いですね。小学校の遠足で訪れた際にいただいたパンフレット、大切に保管していたはずなのですが、どこかに散逸してしまいました。惜しいことをいたしました。
異説の話が出ているのですね。老朽化といわれれば仕方ないのでしょうね。
「の」の字運転をしていた頃の環状線で、西九条駅の仮設通路をとおって乗り換えた記憶が幽かにございます。
2009.11.03 Tue 09:08 | *のりさん おはようございます
朝早くからコメントを頂きありがとうございます。
明治帝・昭和帝の誕生日は祝日になりましたが、今上帝の場合は将来どうなるのでしょうか?
年末の繁忙期祝日は嬉しいような悲しいような・・・。
「小学校時代のパンフ」・・・これはかなり貴重品ですよ。見てみたいものです。
「西九条駅の仮設通路」・・・話には聞いたことがありますが、これは記憶にないですね。
2009.11.03 Tue 11:14 | それより皇后誕生日を祝日に
大正天皇の誕生日が祝日になっていないので無理だと思います。
弁天町の駅前、何もないですね。まるで半世紀後のWTCのようです。
(1)戦災で派手に焼けた
(2)区画整理を行った
(3)高潮対策で土地をかさ上げした
(4)一筋南の市岡地区のほうが市電も通っており繁華街だった
というのが理由だと思われますが。
科学館、最後に行ったのは3年前ですが、キハ45(セミクロスシートでしたから)に乗って行った幼稚園の遠足、行く途中で迷子になった小一(101系が2+6の時代ですよ、そんな変則的編成、鉄ちゃんでもわかりませんよ、えっ、今は緑の4+4があるって?!)、ポートタワーから関西汽船でやってきて、赤帯の113系で戻った小五の遠足、あとは大人になって濁ってからしか行ってませんね。
すいません、予想以上の長文になってしまいました。
- #JyN/eAqk
- なにわ
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- Edit
2009.11.03 Tue 12:15 | *なにわさん こんにちは
平成は、大正時代より長くはなっているのですが、ただ長いだけではねえ。
弁天町駅は、市岡に比べてかなりの後発組でしたが、市電がなくなった現在ではこちらが中心となりました。
科学館の思い出も少なからずお持ちのようですね。途中で迷子になった・・・とありますが、その後どうなったのか気になりますね。さすがのなにわさんでも小1であれば心細かったことでしょう。
赤帯の113系で戻った小五・・・ということは、昭和38年以降のお生まれということですね。
2009.11.03 Tue 14:45 | ご無沙汰の・・・
そういえば改称以来お邪魔してません。そのまえというと大学時代に“学鉄連”(関西学生鉄道研究連盟だったかな)のイベントの関係で行った程度でしょうか。環状線ホームからは何時も覗きこんでいるんですが。
環状線0番ホーム、懐かしいですね!子供の頃の環状線って何時乗っても混雑していたように思います。
- #-
- サットン
- URL
2009.11.03 Tue 17:07 |
交通科学館…、子供の頃、何回か行った記憶があるんですが、
東京の交通博物館と記憶が交錯しちゃって^^; EF52形って
ありましたっけ? 夏休みの宿題でスケッチした記憶があるんですが、
どっちだったかなぁ。
- #-
- ぼんくらオヤジ
- URL
2009.11.03 Tue 19:00 | *サットンさん こんばんは
長い間遠ざかっておられるようですね。
展示品もかなり変更されていますし、なにより年を重ねてから見ると意外な展示品にとても興味を示すようになって面白いですよ。
大阪駅の0番線は、いつの間にか環状1番、環状2番に変わってしまいましたね。
2009.11.03 Tue 19:09 | *ぼんくらオヤジさん こんばんは
大きなデッキが特徴のEF52のファーストナンバーは、ここにありますよ。
ただ、搬入されたのが、昭和52年以降ですから「夏休みのスケッチ」の被写体となりえたのでしょうか?
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