昭和の絵葉書(2) 別府航路
- Sun
- 00:00
- ∇ファジーコレクション - ├古書三昧(戦後篇)
第2弾は、関西汽船の別府航路

表紙の写真には説明がないので、この撮影場所はどこだろう?と随分悩んだ。
背景の島影は、備讃瀬戸に浮かぶ塩飽(しわく)諸島のひとつである与島(左)と鍋島(中央の小島)、後ろの長い島は、小与島ではなかろうか。

小さな島である鍋島の頂上付近にみえる小さな白い燈台は、「鍋島燈台」と思われる。
この灯台は、「日本の灯台の父」と称えられた英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンにより、明治5年に建築された日本最古級の近代灯台として有名であり、今では近代化産業遺産群に指定されている。
またよ?く見ると、現在では貴重な石造りの建築物だとして屋島の四国村にて復元保存されている「鍋島退息所」の瓦屋根もうかがえる。国・登録有形文化財(2000.04.28)
こんな小島の灯台を見ると昔の松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」を思い出してしまうのだが・・・やっぱトシかなあ。

世界之公園 瀬戸内海地圖(大阪・日下和樂路屋刊 大正9年)

大正9年当時の瀬戸内海の航路図を披くと・・・

この当時にはすでに与島の南側は、瀬戸内の幹線航路となっているのが分かる。(丸く囲んだところが与島・鍋島・小与島・・・鍋島燈台の姿もうかがえる。)
ちょうど絵葉書の観光船がいるあたりは、現在では、巨大な本四架橋が与島から右手前に伸びているその真下に当たると思われる。
鍋島と与島は、現在では堤防でつながれ陸続きとなっているので、昔とは随分様子が異なって想像すらつかなくなってしまっている。
昭和35年2月 関西汽船は、大型観光船「くれない丸」・「むらさき丸」の建造により、 阪神?高松?別府航路に昼間航行の観光便を開設したので、この写真のように瀬戸内の日中風景も楽しめたようだ。

250mm×150mmのビッグサイズの絵葉書となっている。
一枚ものの切手代は、10円。 全体として7枚入って30円の切手を貼るよう指示がある。

「泉都別府に着いた観光船」
「泉都」という表現も微笑ましい、新婚旅行のメッカ別府・・・その殷賑ぶりは、現在の状態からは予想も出来ないほどだ。
客船は、すみれ丸と思われる。(すみれ丸:2693トン 1963年4月?1975年12月別府航路就航)

「別府航路から九州横断道路へ」
「やまなみハイウェイ」の中でも特に風光明媚な玖珠郡九重町飯田高原の長者原(ちょうじゃばる)附近であろう。

「来島海峡と観光船すみれ丸」
現在ではここに「しまなみ海道」が通いその様相は一変している。

「高松沖、大島附近を航行する観光船」
高松の北西 屋島の北側に大島がある。四国と阪神間を結ぶ航路の一つとなっていた。

「神戸港に入港する観光船」
「ハーバーグリーン」と呼ばれた下半分が緑、上半分が白の塗装も、今となっては懐かしい。

「豪華観光船むらさき丸のローンジ」
むらさき丸は「動くホテル」をうたい文句に、新婚さんや外国人の観光客を運んだ。
特に外貨獲得を使命として外国人観光客を数多く招き入れていたようだった。
映画が見られる娯楽室、名酒を集めたバー、そして陸のホテルにも負けないサービスを提供した。
一等船内の写真は珍しい。
英文のLoungeをローンジと表記していることから「ラウンジ」という言葉はまだ一般に定着していなかったのであろうか。

「夕陽の瀬戸内海をゆく観光船むらさき丸」
くれない丸の僚船である「むらさき丸」は、昭和35年に浦賀船渠で新造された。
2,912トン

(昭和44年10月の交通公社大型時刻表から)
時刻表では、日昼、瀬戸内海を航行するいわゆる「観光船」ダイヤが数多く見受けられる。
時刻表に「大阪」と表示してある港は、その当時大阪の国内旅客船基地となっていた弁天埠頭(昭和40年完成)のことだ。
ただ、一世を風靡した弁天埠頭も平成の現在では、すっかり「昭和の棄景」のひとつとなってしまった。

同ページの就航船のところには、むらさき丸・すみれ丸の名前が見える。
子どもの頃に耳にした「こばると丸」に「あいぼり丸」・・・当時はコバルト・ブルーやアイボリー・ホワイトなんて言葉は一般に普及しておらず、ヘンな名前だと思ったものだったが、今となっては只々なつかしい。
この絵葉書には、昭和42年に就航した関西汽船最後の豪華観光船「こばると丸」・「あいぼり丸」の姿がないので、それまでに発売されたものと考えられる。
- 関連記事
-
- 昭和の絵葉書(2) 別府航路 (2010/02/28)
- 昭和の絵葉書(1) 東京の空から“Views of Tokyo from the air” (2010/01/25)
- 昭和40年前後の絵葉書について・・・ (2009/12/21)
- 大阪万博の頃の住友銀行メモ帳 (2009/12/16)
- 終戦の日特集・・・戦後最初の六法全書(臨時版) (2009/08/15)
- ブログ製本できました♪ (2008/07/02)
- 報道写真傑作集とスピードグラフィック(その2) (2008/06/23)
- 「日本万国博覧会公式ガイド・・・昭和45年」 (2007/05/23)
- 「四角い仁鶴が丸?く収めまっせ!!」 (2006/12/03)
- 官報告示 (2006/09/15)
- ☆阿房(あほう)列車 (2006/09/01)
- ☆徳不孤 (2005/12/31)
- ☆六法全書 (2005/12/30)
- Genre :
- 地域情報
- 香川・愛媛・高知・徳島
Comment
2010.02.28 Sun 14:15 |
船名のつけ方が大阪商船の流れを引いておりますね。
1983年夏、太平洋フェリーに乗船した際、やはり「ラウンジ」が「ローンジ」となっていました。
- #JyN/eAqk
- なにわ
- URL
- Edit
2010.02.28 Sun 18:09 |
別府航路、懐かしいですね。
かつて、時刻表の最終項目(私鉄・航路)の時刻を眺めながら、思いを馳せたことを想い出しました。結局利用したことはありませんでしたが、この絵葉書も、利用客が乗船記念に買い求めていったのでしょう。そんな風景も目に浮かぶようです。
2010.03.01 Mon 08:52 | *なにわさん おはようございます
昭和58年当時でもローンジですか・・・一種伝統的表記なのかも知れませんね。
貴重な情報ありがとうございました。
2010.03.01 Mon 08:55 | *のりさん おはようございます
昔の大型時刻表の後のページは、それなりに賑やかで、知らない会社のバス路線や航路もたくさんありました。
最近のものは高速バスや飛行機が幅を利かせてあまり面白いものではなくなりましたね。
2010.03.02 Tue 07:12 | *ぼんくらオヤジさん おはようございます
昨今の数万トンクラスの豪華客船からみれば、ほんとに端舟みたいなものですが、この当時はそれなりに立派なものだったのでしょう。
くれない丸は、現在でも横浜でクルーズ船として現役だとか・・・。
私も一度乗ってみたく思っています。
Trackback
- URL
- http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/tb.php/963-9f175597
- この記事にトラックバック(FC2Blog User)