熊野街道の起点を歩く(13) 堺・山之口~鳳
昨年の5月に始まった「熊野街道の起点を歩く」シリーズもほぼ1年を経過し、回数は13回目となった。
※バックナンバーを検索するには、画面右下の検索機能(探し物はコチラ ノラや?)に「熊野街道」と入力するとぞろりと出てくる。 因みに本シリーズの第1回は→こちら

さて、13回目の今回は、泉州・堺の環濠に架かる山之口橋からの出発となる。
上の地図の臨江寺の右に斜めにかかる小さな橋が山之口橋である。(※この地図は右上が南になるので注意されたし)


先日堺市内をグループで歩いたことがあったが、それが終わってもまだ陽が高かったため、一人熊野街道を南下することにした。

堺では小栗街道の名称で知られている熊野街道であるが、暫くは道筋が確定しているので進み易い。

このあたりで初めて「熊野街道」石碑を市立湊小学校脇に見つける。
しかしあまり見るべきものがない地域である。

淡々と歩みを進める。

現在の幹道である国道26号線からそれた細いクネクネ道が旧の熊野街道となる。

株式会社シマノの提供による木製道しるべ 「⇒熊野へ」の表示を見るにつけ、その前途はるかなるを思うと頭がクラクラしてくる。

街道沿いに石津神社が見えてきたが、ここは王子跡ではない。


石津太神社と書いて、「いわつのおおじんじゃ」と読む。

石津神社が戎さまを祀っているので、その近くには戎橋がある。

神石市之町の交差点は、道筋を間違い易いので注意を要する。
変則的な7本の道が交差する場所になっている上に、旧街道が一旦は府道の和泉泉南線と合流はするが、交叉せずに再び離れていくのだ。

右側の馬場記念病院の傍らにある細い道を進むべし。 木製の道しるべがありがたい。


途中、不思議な光景に出会う。

駐車スペースの問題だろうが・・・高所作業車が一斉に、無意味に虚空を目指して首を伸ばしている様子は、壮観である。

府道の大阪高石線には、小栗街道との交差点であることが表示してある。
ここを過ぎればまもなく大鳥大社だ。


大鳥大社前の熊野街道道標は、地面に嵌め込まれたものであった。

大鳥大社は、和泉国一の宮で官幣大社。 ご祭神は、ご存知ヤマトタケルの命
ヤマトタケルが白鳥になって最後に舞い降りたのがこの地らしく、そこにお祀りしたのが起源とか・・・。
無事にここまでやって来られた事に神恩感謝して参拝。

同じ境内にある摂社の大鳥美波比(おおとり・みはひ)神社が、8番目の王子である「大鳥居新王子」であると謂われている。

鎮座地は旧神鳳寺本堂址と伝え、昭和9年移建前は同五重塔趾にあった。
後に見えるフェンスで囲まれた場所のことかもしれない。

この神社は、元は北王子村(現鳳東町)にあったが、明治12年に現在地の大鳥大社に移された。
場所は移されても、今でも鳳地区の氏神さまであり、氏子の信仰の対象である。
秋の大祭の時には、美波比神社の神前に地車(ダンジリ)がずらりと並ぶ。

もともと、この神社(大鳥居新王子)は、この地図の右下★印のあたりにあったらしい。

★印の旧社地には元宮司富岡鉄斎筆の「美波比神社旧社」の石碑が遺されていたが、今では某宅で保存されていて見ることは叶わないらしい。
このあたりの事情は、最近手に入れた「熊野古道みちしるべ・熊野九十九王子現状踏査録」みなもと選書・昭和46年に詳しい。

先達・案内人のいない小生にとっては、力強い道しるべとなっている。

今日は、堺の市内をぐるり歩いた後の熊野街道探訪なので、これくらいにしてJR阪和線・鳳駅から帰る事にする。
阪和線の堺市駅から数えれば、5駅の区間、約6kmの行程であった。

羽衣線の電車を横目に天王寺行きの快速電車が入線してきた。
腰の万歩計は20,000歩と表示されている・・・よく歩いたものだ。

終着駅・天王寺ではちょいと道草♪
(つづく)
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さて、13回目の今回は、泉州・堺の環濠に架かる山之口橋からの出発となる。
上の地図の臨江寺の右に斜めにかかる小さな橋が山之口橋である。(※この地図は右上が南になるので注意されたし)


先日堺市内をグループで歩いたことがあったが、それが終わってもまだ陽が高かったため、一人熊野街道を南下することにした。

堺では小栗街道の名称で知られている熊野街道であるが、暫くは道筋が確定しているので進み易い。

このあたりで初めて「熊野街道」石碑を市立湊小学校脇に見つける。
しかしあまり見るべきものがない地域である。

淡々と歩みを進める。

現在の幹道である国道26号線からそれた細いクネクネ道が旧の熊野街道となる。

株式会社シマノの提供による木製道しるべ 「⇒熊野へ」の表示を見るにつけ、その前途はるかなるを思うと頭がクラクラしてくる。

街道沿いに石津神社が見えてきたが、ここは王子跡ではない。


石津太神社と書いて、「いわつのおおじんじゃ」と読む。

石津神社が戎さまを祀っているので、その近くには戎橋がある。

神石市之町の交差点は、道筋を間違い易いので注意を要する。
変則的な7本の道が交差する場所になっている上に、旧街道が一旦は府道の和泉泉南線と合流はするが、交叉せずに再び離れていくのだ。

右側の馬場記念病院の傍らにある細い道を進むべし。 木製の道しるべがありがたい。


途中、不思議な光景に出会う。

駐車スペースの問題だろうが・・・高所作業車が一斉に、無意味に虚空を目指して首を伸ばしている様子は、壮観である。

府道の大阪高石線には、小栗街道との交差点であることが表示してある。
ここを過ぎればまもなく大鳥大社だ。


大鳥大社前の熊野街道道標は、地面に嵌め込まれたものであった。

大鳥大社は、和泉国一の宮で官幣大社。 ご祭神は、ご存知ヤマトタケルの命
ヤマトタケルが白鳥になって最後に舞い降りたのがこの地らしく、そこにお祀りしたのが起源とか・・・。
無事にここまでやって来られた事に神恩感謝して参拝。

同じ境内にある摂社の大鳥美波比(おおとり・みはひ)神社が、8番目の王子である「大鳥居新王子」であると謂われている。

鎮座地は旧神鳳寺本堂址と伝え、昭和9年移建前は同五重塔趾にあった。
後に見えるフェンスで囲まれた場所のことかもしれない。

この神社は、元は北王子村(現鳳東町)にあったが、明治12年に現在地の大鳥大社に移された。
場所は移されても、今でも鳳地区の氏神さまであり、氏子の信仰の対象である。
秋の大祭の時には、美波比神社の神前に地車(ダンジリ)がずらりと並ぶ。

もともと、この神社(大鳥居新王子)は、この地図の右下★印のあたりにあったらしい。

★印の旧社地には元宮司富岡鉄斎筆の「美波比神社旧社」の石碑が遺されていたが、今では某宅で保存されていて見ることは叶わないらしい。
このあたりの事情は、最近手に入れた「熊野古道みちしるべ・熊野九十九王子現状踏査録」みなもと選書・昭和46年に詳しい。

先達・案内人のいない小生にとっては、力強い道しるべとなっている。

今日は、堺の市内をぐるり歩いた後の熊野街道探訪なので、これくらいにしてJR阪和線・鳳駅から帰る事にする。
阪和線の堺市駅から数えれば、5駅の区間、約6kmの行程であった。

羽衣線の電車を横目に天王寺行きの快速電車が入線してきた。
腰の万歩計は20,000歩と表示されている・・・よく歩いたものだ。

終着駅・天王寺ではちょいと道草♪
(つづく)
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Comment
2010.04.23 Fri 09:22 | *なにわさん おはようございます
久保田早紀の「異邦人」をイメージするとか・・・なかなか想像力逞しいですね。
トルコの軍楽隊の行進曲と一脈通じるような、かなりエキゾチックな曲だったので、よく覚えています。
しかし平成生まれ子供たちはこの曲知っているかな?
2010.04.23 Fri 13:04 |
水色の高所作業車が首を持ち上げている・・・面白い光景ですね!!
2万歩も歩くと、結構「歩いたな~」感がしますよね~。
そうすると、天王寺では一杯やらずにはいられません(≧▽≦)ノ
- #-
- うたに
- URL
2010.04.24 Sat 06:15 | *うたにさん おはようございます
高所作業車がなぜか読者の人気になってます。これが不思議な光景であるとともに他に見るべきものがない地域となっていたのでしょうね。
仰るとおり、2万歩も歩けば、そのまま帰れませんよ。うたにさんなら、ラーメンかそばを召し上がっているかもしれませんね♪
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